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Hitachi

日立の家電品エアコン

プロダクト ヒストリー:1950年代

プロダクトヒストリー 1950-1959

1952年(昭和27年)

日本初のウインドウ型エアコン発売。
EW-50

冷房能力 850/1000Kcal/h 冷媒 フロン-12
圧縮機能力 400W(電力制限により家電品は400Wがmax) 製品重量 100kg
ファンモートル 2個使用 当時の価格 240,000円

日本で初めてウィンド形ルームエアコンを発売。この製品は、京都の都ホテルに納入されています。


1953年(昭和28年)

EW-50の機能をさらにアップ。
FW-50

冷房能力 1200/1440Kcal/h 冷媒 フロン-12
圧縮機能力 400W 製品重量 69kg
ファンモートル 2個使用 当時の価格 240,000円

W-50の性能をさらにアップし、軽量化したタイプ。各方面から好評を博しました。


1954年〜57年(昭和29年〜32年)1954年〜57年(昭和29年〜32年)

一時生産を中止。
電力事情が悪いため冷房能力が小さい物しか製品化できなかったこと、宣伝が充分でなかったこと、当時としては値段が高いこと(価格は、一台24万円。当時の高卒サラリーマンの初任給が8000円前後でしたから、今で言えば、高級車に相当するぐらい高価なものでした)などの理由から一時生産を中止。容量の大形化と価格の低廉化をめざしてさらに研究開発を続けました。


1958年(昭和33年)

昭和33年カタログ 拡大して見るエアコン生産再開。
101-WL

冷房能力 2200/2600Kcal/h 冷媒 フロン-22
圧縮機能力 750W 製品重量 72kg
サーモ・換気装置 当時の価格 285,000円

3相200V電源を使用し、冷房能力をアップ。冷房、排気、換気、除湿が可能であり、構造的には現在のルームエアコンに近いものになりました。名称は、『日立ウインドウ形エアーコンディショナー』。このころから、ルームエアコンに対する一般の需要も徐々に盛んになってきました。


1959年(昭和34年)

「白くま」マーク登場。
100-WM

冷房能力 2000/2200Kcal/h 換気装置 マグネット式
圧縮機能力 750W 冷媒 フロン-22
主操作スイッチ 押しボタンスイッチ 製品重量 90kg
風向板、送風量 切替可能 当時の価格 220,000円

この製品より、『白くま』マークがパネル部分に登場。以後、日立ルームエアコンのシンボルマークになりました。起動電源の制限が100Vで33AまでOKになったのを受けて、この製品と同時に、単相100Vタイプの75-WMも発売。初めて2機種をリリースしました。